ネオフライト国際商標特許事務所の「ネオフライト」には、お客さまとともに新たなステージへと飛翔していきたいという願いが込められています。

「新製品を開発したので特許を取りたいのだが、特許のことがよく分からずに困っている」という中小製造業社長の力になりたい。
その願いは、わたくし宮川壮輔の、学生時代からデパートマンを経て弁理士になるまでの、そして弁理士になってからの、多様な苦労、経験、そして喜びから生まれてきたものです。

この願いがどのように生まれたのかを、簡単にお話したいと思います。

迷いのサラリーマン、
知財を扱う「弁理士」という職業に出会う

「弁理士」という職業が存在することを知ったのは27歳の時、私はデパートで企業相手の営業を担当していました。

素晴らしい仲間に恵まれ、チームで仕事をする喜び、達成感を強く感じられる職場でしたが、本当にこのままでよいのか、と常に自問自答をくり返していました。

大学は文学部に入学したものの、自堕落な生活を送り、借金もかさむ毎日。学生生活は一年延長。世界を駆け巡る商社マンを目指していたものの、就職活動でことごとく失敗。
そんな5年間を送り、半ば縁故でデパート業界に入った自分にいったい何ができるのか・・・。そんなことばかり考えていたんです。

そんな折、当時弁護士を目指していた友人に久々に再会しました。
そこで彼に「これから弁理士は良いよ、いつかお互いの得意分野を生かして、弁護士と弁理士で一緒に仕事をしよう」と勧められたのです。

それまで、「弁理士」という言葉も知らなかった私。 弁理士についての仕事内容を調べていくうちに、以前、企業相手のオリジナル製品を開発していたときに悩んでいたことを思いだしました。

  • 「こんなアイディアを新製品に盛り込んだら、喜ばれるのではないか?」
  • 「しかし、すでに誰かが同じことを考えて特許を取っているのかもしれない」
  • 「そうだ、商標の権利なども、クリアにしておかねばならない」
  • 「こんなとき、どこの誰に聞けばいいんだろう?」
  • 「本屋で権利の本を見てみたけれども、難しすぎて結局分からない」

そう、かつて私は“知財”に本当に苦労させられていたんです。
なのに、弁理士という“知財”を扱うプロフェッショナルが存在することすら知らずに悩んでいた。

そして、自分と同じように“知財”に悩まされている会社が、世の中にはまだたくさんいるはず・・・。自分が弁理士になれば、悩んでいる会社の力になれるはず・・・力になりたい!

実際に“知財”で苦労した経験があるから、自分なら、よりきめ細かく悩みを解決できるはず。

そうだ、私がやりたいことはこれなんだ!弁理士になろう!

いままで、自分の進むべき道を考えあぐねていた私にとって、この友人の助言こそが人生を変えるきっかけとなったんです。

デパートマンからの転身経験が
プラスの武器になる

本気で弁理士試験に取り組むため、デパートマン生活に別れを告げ、浪人生活に突入。この時期は、本当に寝食を忘れて勉強に没頭しました。 その甲斐もあり、浪人生活3年後に晴れて試験に合格。
貯金も尽きかけ、まさに背水の陣で望んでいたため、合格は本当に嬉しかったですね。
となりの受験仲間と抱き合って喜んだのを覚えています。

晴れて弁理士となったわたしは、日本一大きな特許事務所へ入所することとなりました。
文系出身だからこそ、デパートマンだった経験があるからこそ、誰が何を悩んでいるのか、どこでつまづき、どのように解決すればよいのかは多分に把握しています。その経験を買っていただけたのでしょう。
最初は業務に慣れず辛いことも多かったのですが、特許書類の作成や中間対応を一つ一つ丁寧にこなしていきました。そして、技術者・研究者の方や知的財産部の方との打ち合わせを経て、特許に関するさまざまなご相談に応えられるようになっていきました。さらに、特許鑑定書の作成から特許訴訟対応、セミナー講師まで、幅広く活動させて頂きました。
独立する頃には管理職となり、世界的な一流企業をお客様として、特許に関するさまざまな業務をこなすことができるようになっていました。

とはいえ、やはりこの世界、特に特許に関しては理系の分野。自分をより高めるために、理系の専門知識が必要不可欠であることは弁理士試験に合格する前から分かっていました。

特許事務所の仕事が軌道に乗ってからは、以前から文系出身の弁理士の間では定評のあった東京理科大学へ進学。昼間は特許事務所、夜間は大学での理系の知識の勉強と、二足のわらじを履いて勉強を続けました。

夜間部とはいえ、実験なども伴う理系の学部は、忙しい社会人にとっては卒業することすらハードルが高いもの。それでも、上位10位以内の成績優秀者として大学院への推薦試験に合格することができ、無事に工学修士の称号も得ることができました。

以前の文系大学を卒業して約15年。5年かけてなんとかギリギリで卒業することができた昔の学生だった頃の自分を思いだすと、人間というのは「志」があれば、大きく変わるものなのだと、つくづく思います。

そして気がつくと、文系・サービス業のしなやかさと、最先端の技術知識を併せ持つ稀少な弁理士に成長していました。

“知財”に悩むお客さまの顔を
笑顔に変えたい、共に歩んでいきたい!

デパートマン時代と弁理士時代では、仕事の進め方は大きく異なります。デパートマン時代は、小さい部署で、それこそ一丸となって目標に取り組み、悩み、チームのみんなで喜びを共有していました。

弁理士の仕事は全く逆です。個人としてコツコツと目標に向かって取り組んでいく。これも非常に面白いのですが、やはり仕事の喜びは多くの人々と共有したい。

だからこそ、中小製造業の社長と一緒に仕事をしていくことに面白さを感じます。
中小製造業の社長の多くは、ご本人がその製品を発明し、特許を取ろうと考えていらっしゃいます。製品に関する愛情、思い入れがとても強いんです。また、その製品が特許や商標を取れるか取れないかで、会社の将来も大きく変わってくる。 お話をお伺いしていると、その想いの強さに、何ともして力になりたいと思えてくるんです。

その想いを、しっかりと形に残したい。
そして、社長とともに喜び、悩み、そして共に成長していきたい。

業界最大手の特許事務所から独立したのは、このような社長と「共に成長したい」という想いをより強く感じるようになったからなんです。

“知財”を通して、多くの人々の
新たな飛翔を助ける弁理士となりたい

大手特許事務所で、強く印象に残っているのは、一番最初に担当したお客さまです。

特許というのは、「取ろう」と考えてから、結果に結びつくまでに4~5年かかるので、実際には途中からの引き継ぎだったんですが、はじめての業務でしたし、そのお客様も「はじめての発明、はじめての特許」だったんですね。

機械系中小製造業の社長が開発した製品だったんですが、特許が取れたときに「本当にありがとう!」と、手みやげを持って来てくれたんですよね。あのときは本当に嬉しかったです。

  • これからも、知財で悩む中小製造業の社長を全力で支援していきたい。
  • そして、その悩みを喜びに変え、その喜びを共有したい。
  • 多くの社長と、ともに飛翔していきたい。

そんな願いのもと、ネオフライト国際商標特許事務所は羽を広げることとなりました。
さまざまな社長とともに、より高いステージへ翔けていきたいと思っています。

“知財”の事で少しでもお悩みでしたら、ぜひお声がけください。